お菓子けものみち

~第六回「饅頭の成り立ちと、日本への伝播」


さて、久々登場の「お菓子けものみち」6回目。
今回はおそらく皆さん普段よりなじみのあるお菓子「饅頭」について、その歴史を語ってみたいと思います。

1.そもそも「饅頭」ってどこで生まれたのか?

日本での饅頭を語る前に、まずは「世界のどこで饅頭が生まれたのか」。
古くの話になってしまい、したがって伝説上のお話ではあるのですが、どうも諸説紐解くと、三国志で有名な「諸葛亮孔明」にたどり着くようです。

孔明が中国南方を平定した後の帰路、暴風雨のため川が氾濫しており渡ることが できず、その際のまじないとして、49人の人間(の頭)を生贄にする代わりに 羊や豚の肉を小麦粉の皮で包んだものを捧げた、というのが饅頭の始まり。
そういったいきさつもあり、当初は「蛮頭」と呼ばれていたものが後に変化し、「饅頭」となったようです。


当時の「生贄代わり」の「肉まん」に関しては、発酵した皮を使用していたのか否かについては不明。
おそらく、もともとの目的から考えると悠長に作ってはいないと思いますので、あるいは後述の「本饅頭」のような皮だったのかもしれません。
とはいえ、それでも「饅頭」そのもの」の元祖が「肉まん」なのには変わらず。
以後、「肉まん」を見る目が変わりそうです。

2.日本への伝播

それ以後饅頭は広がっていき、奈良時代に一旦、おそらくは遣唐使を通じて日本に入ってきたようです。
この時点での「饅頭」はやはり肉や野菜を餡とした、所謂「惣菜としてのお饅頭」だったようなのですが、日本では当時より肉食を嫌っていたため、一旦廃れてしまいます。
もっとも、この時期に入ってきた「唐菓子」の名残は現在でも残っており、たとえば亀屋清永の「清浄歓喜団」、春日大社の「ぶと」など、基本的に「生地を揚げたお菓子」として見ることが出来ます。


写真の「清浄歓喜団」についてはお店自体が残っていますので、現在でも頂くことはできますし、実は、春日大社の「ぶと」についても、より現代でも食べやすいお菓子にアレンジした物を奈良の萬々堂通則で「ぶと饅頭」としていただくことが出来ます。
「ぶと饅頭」については写真が無くてすみませんが、ドーナツ、というか、揚げパンの中に餡子が入っているようなお菓子で、なかなか美味しいと思いますので、ぜひ一度お試しください。

また、鎌倉時代の文書「吾妻鏡」には「十字」と呼ばれる、具なしの饅頭が出てくるようですので、あるいはそれ以後も中国との交流等を通じ、細々と入ってきたのかもしれません。

さて、時代は下り室町時代。
ここで再び、日本に「饅頭」が伝来するのですが、その経路については、大まかに2種類に分けることができます。

①林淨因(塩瀬)系
②聖一国師(虎屋)系
経路についても違えば、それ以後の発展の仕方についても異なっており、なおかつ現在でも、それぞれの系統のお饅頭を頂くことができますので、今回はそれらについて語ってみたいと思います。

2-1.林浄因(塩瀬)系

まずは現在も「塩瀬饅頭のお店」として有名な塩瀬の系統のお話。
塩瀬は新富町にある和菓子屋さん。お店の外観はこんな感じです。


実は、こちらの歴史については岩波書店より「まんじゅう屋繁盛記 塩瀬の650年」というタイトルで、現「塩瀬」ご主人の川島栄子さんが書かれた非常によい書籍が出ておりますので、そちらを参考にしつつ。
なお、こちらの書籍に関しては、もともと散逸していた「塩瀬」の歴史を、川島さん自体が古い資料を紐解き、謂れのある土地を訪ね、実際に各種検証を行った、読み物としても面白く、また特に人文の歴史資料としても貴重なものだと思いますので、興味のある方はぜひご一読いただければと思います。

そちらの書籍によれば、「塩瀬」の饅頭が日本にやってきたのは貞和五年(1349)のこと。
宋で修業を終えた龍山徳見禅師の帰国に際し、俗弟子だった一人の中国人、林浄因が別れを惜しみ来日。
浄因は奈良に居を構え、「小豆」で作った「餡子」を小麦粉の「皮」に包んだものを売り出しました。

これが現在まで繋がる、日本での「饅頭」の潮流の一つになっていくのですが、そうなってくると気になるのは、このとき売られたものがどんなものなのか?ということ。
実はそれらについても、先の書籍に記述があるのですが、「皮には小麦粉と水を練って発酵させた老麺(ラオミエン)と呼ばれるものを練りこみ、餡はこし餡で、小豆餡に甘葛煎の甘味と塩を加えたもの」ということのようです。
饅頭については、誕生時より生地を発酵させ、したがっておそらくはパンのような、ふわふわな食感が得られていたであろう、というのは興味深いですね。

そして時代は下り、塩瀬5代目(と言われる)林紹絆(りんしょうはん)が、中国にわたり製菓技術を学び、帰国の後に中国の宮廷菓子に学び、山芋をこねて作る「薯蕷饅頭」を売り出したとのこと。
この「薯蕷饅頭」が現在でも塩瀬で売っており、また、世間一般でも扱われている「薯蕷饅頭」の元祖、ということとなるとともに、饅頭において、山芋は所謂「ふくらし粉、膨張剤」の役割を果たしますので、ここで初めて「生地自体を発酵させるのではなく、膨張剤によってふっくらした食感を楽しむ」お饅頭が登場することになります。


これが現在塩瀬で購入できる「塩瀬饅頭」。
この形になったのは昭和に入ってから、と言うことですが、それでも山芋を使用した「饅頭」の元祖直系として、外すことはできないお菓子です。
材料は
原材料:小豆、砂糖、米粉、山芋、水飴、膨張剤
となっており、非常にシンプルなんですが、とても上品かつ美味しく、丁寧なつくりなのがわかります。

ところで、「薯蕷饅頭」の始まりについては上記なのですが、それ以前の饅頭、すなわち「小麦粉と水を練って発酵させた」皮のものはどうなったのか、と言うと、実はそのものズバリではないものの、そちらの系譜に属するものも塩瀬では「本饅頭」という名前で現在扱っています。


製法が確立したのは「織田信長」の時代。
天正3年(1575)の長篠の合戦時に、徳川家康出陣の際、塩瀬七代目のご主人、林宗二が「本饅頭」を献上した、と言うのが始まりのようです。
この「本饅頭」は、当初の林浄因が作った「饅頭」をベースに、餡を大納言が入った小豆餡に変え、皮を非常に薄くし、丁寧に蒸しあげたもの。
家康が「本饅頭」を兜に盛って軍神に供え、戦勝を祈願しましたことから、「兜饅頭」とも呼ばれるようです。
こちらの材料は
原材料:小豆、砂糖、小麦粉、水飴
となっており、先の「塩瀬饅頭」と比べると、それぞれ皮の部分が異なっている(塩瀬饅頭は小麦を使っていない)ことがわかります。

2-2.聖一国師(虎屋)系

もう一つの「日本の元祖の饅頭」と言われているのが、俗に「虎屋系」と言われているもの。
先の「塩瀬系」についてはふくらし粉を使用して、皮をふっくらと仕上げていますが、こちらの系統は「酒種で発酵させて」膨らませているのが特徴です。

ここで思い出すのが塩瀬、というか当初の林浄因の「皮には小麦粉と水を練って発酵させた老麺(ラオミエン)と呼ばれるものを練りこみ」作られた饅頭。
どちらの系統も、当初は酒種を使う、使わないを問わず、発酵させることによってパンのように生地を作っていたのに対し、塩瀬系は途中で山芋を使うように変化して行き、また一方の虎屋系は酒種を使い発酵させている、という違いが出ているのが面白いところです。

で、こちらの「虎屋系」の「饅頭」。
そもそもどのような経緯で誕生、というか日本に入ってきたのか、というと、伝聞上では仁治2(1241)年、宋にて禅宗の修行を終え、当時博多に滞在していた「聖一国師」がもたらした、というもの。
ちなみにこの「聖一国師」、静岡にお茶を伝えた人、また、饂飩を日本に伝えた人としても有名で、当時の日本の食に多大なる影響を与えた人なのですが、こと「饅頭」に関しては、公式な記録として残っているものはほとんどないようです。

聖一国師は、博多の茶屋の主人、栗波吉右衛門に歓待され、そのお礼として宋で習得した饅頭の製法を教えたといいます。
吉右衛門の茶店の屋号が「虎屋」だった、あるいはその後吉右衛門が「虎屋」の屋号を名乗ったことから、このお饅頭は虎屋饅頭とも呼ばれ、だいぶ評判となったとのこと。
その後「虎屋」の名前は「饅頭のお店」として一般的だったのでしょう、そのまま残り、さまざまなところでその製法とともに引き継がれていくこととなります。

そんな「虎屋」のうち、日本でもっとも有名なお菓子やさんが、現在赤坂に本店のあるその名もずばり「虎屋」。
お店そのものは奈良時代から朝廷出入りのお菓子やさんで、平安遷都とともに京都に移転、その後明治維新と共に東京に移転してきた、まさに日本の歴史そのものを見てきたお店です。


先の「吉右衛門」の「虎屋」と現在の「虎屋」の関係は不明、とのことなのですが、記録上は室町時代には「虎屋」を名乗っていた、と言うことのようですから、時期的には何らかの関係があったのかもしれません。

さて。
こちらも気になるのは「聖一国師が伝えた饅頭はどんなものだったか?」ということ。
先に書いたとおり、饅頭がどのようなものだったのかについては、公式な記録としてあまり残っていないのですが、大まかには
「小麦粉を捏ね、甘酒を入れて発酵させた、中に何も入っていない素饅頭」
だったようです。
現在中華料理屋さんなどで時々見られる「饅頭(マントウ)」のようなものだったんでしょうかね。


この「虎屋饅頭」が時を経て「餡子」を入れていくようになるわけですが、その製法そのままのお菓子を現在、先の「虎屋」で購入することが出来ます。
その名もズバリ「虎屋饅頭」。

こちらの材料は
原材料:砂糖、小麦粉、米、麹
となっており、やはり非常にシンプルです。

酒饅頭自体、生地を「発酵」させる部分が大きく塩瀬系と異なるのですが、酒種を使い、長く発酵させた上で生地をふっくらとさせるもので、実はとても手間がかかり、また、発酵の調整が非常に難しいお菓子。
そのような理由で、概ね毎年9月~3月の「涼しい時期」しか作られず、また非常に傷みやすいものであるため、作られる個数も少なく、なかなか手に入らないお饅頭ではあります。
一旦蒸かしなおしていただくと、酒饅頭独特の、甘酒っぽいとても良い香りが広がり、とても美味しく頂くことができます。

3.まとめ

以上で「日本の饅頭の元祖」に関しての、大まかな2系統の説明は終わりです。
ざっくりまとめると「薯蕷饅頭」の塩瀬系と、「酒饅頭」の虎屋系に分かれており、それぞれ独自の進化を遂げているのではないかと思います。
歴史的にも、若干のずれはあるもののほぼ時を同じくして「発酵した生地」が日本に入ってきている、というのは非常に興味深いですね。

結構系統ごとに味わいも異なり、食べ比べてみるのも楽しいかと思いますので、ぜひみなさ両方を食べ比べてみて、「どのように違うか」楽しんでいただければと思います。


今回のお店

塩瀬(新富町)
住所:東京都中央区明石町7-14
電話:03-3541-0776
定休日:日祝
営業時間:10:00-19:00

虎屋(赤坂)
住所:東京都港区赤坂4-9-22
電話:03-3408-4121
定休日:なし
営業時間:8:30~20:00(月~金)/8:30~18:00(土日祝)



●バックナンバー
第八回「元祖芋羊羹を巡る」
第七回「甘納豆は日本橋にあり」
第六回「饅頭の成り立ちと、日本への伝播」
第五回「みつ豆とあんみつの元祖に迫る」
第四回「コンビニのロールケーキ」
第三回「あんぱん、ジャムパン、クリームパン」
第二回「梅花亭でどらやきの歴史に触れてみる」
第一回「3種のうさぎやについて語る」

プロフィール

覆面ライターT

いろいろあってプロフィールは秘密の某会社社員。
20ン年前に「女性にモテたかったので」お菓子をいろいろ食べ始めるが、
その目的は果たせず。
代わりになぜか餡子の美味しさに目覚めてしまい、そのままお菓子(食べるほう)の道を邁進中。
文章おちゃらけてますが、結構いろいろ食べていますので今後もお楽しみに
覆面ライターT


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