お菓子けものみち

~第五回「みつ豆とあんみつの元祖に迫る」


みなさまお久しぶりです。「覆面ライターT」と申します。

さて、お菓子についていろいろ語る「お菓子けものみち」も、はや5回目。
今回は甘味どころといえば必ずある「みつ豆」と「あんみつ」の成り立ちについて描きたいと思います。

1.黎明期(寒天の成り立ちと、寒天を使用する前の「みつ豆」のお話)

みつ豆、あんみつについて語る前に、まずはその中で使われている「寒天」の歴史を少し。
「寒天」に行き着く前に、まずは天草を原料とした「ところてん」がありますが、この製法は平安時代、唐の国から遣唐使が持ち帰ったと言われています。
「ところてん」から「寒天」への変化は、時代を下り、徳川4代将軍家綱の時代と言いますから、1651(慶安4)年~1680(延宝8)年の間のことです。

山城国(現在の京都)にある旅籠、美濃屋の主人「太左衛門」が、冬のさなかに参勤交代の大名行列の方向けに饗応用として出した食事の中にあった「ところてん料理」の余りを外に出しておいたところ、寒さの中、凍結後干物となっていたとのこと。

後日、参勤交代のお侍用、ということもあり、おそらくは結構よいものを使っていて勿体無かったんでしょう、改めてこの乾燥した「ところてん」を再び煮たところ、海藻の匂いがなくなり、よりおいしい「改良ところてん」になることを発見し、そこからいろいろと改良を重ね、現在の「寒天」となっていった、ということのようです。


翻って、寒天を使い始める前の「みつ豆」がどんなだったかについてのお話。
江戸末期に庶民のお菓子として、「新粉細工」というものがありました。
これ、どんなものかといいますと、米粉で作った新粉もちでいろいろな形のものを作り、それを豆と一緒に舟型の器に入れて蜜をかけて食す、というもので、「器に、新粉細工とえんどう豆を入れて蜜をかける」ことから、当時はこれを「みつ豆」として売っていた、とのことです。

2.みつ豆の登場

そういうわけで、当初(江戸末期)には「新粉細工」に赤えんどうを足し、黒蜜をかけたものを「みつまめ」として売っていたわけですが、現在の「寒天と赤えんどう」をベースにした「みつまめ」に変わったのは明治36年のこと。

現在でも「芋ようかん」などで有名な「舟和」が、当時おそらくは駄菓子だった新粉細工の「みつ豆」を、より高級感あふれる寒天使用の「みつ豆」として売り出したのがその始まりのようです。

「モダンな洋銀の器を使用して、角寒天、甘煮杏、ぎゅうひ、赤えんどう豆を盛り、特製の白蜜、黒蜜のどちらでもお好みにかけて銀製のスプーンで召し上がるみつ豆を、舟和が初めて考案いたしました。
当時しん粉を用い、赤えんどう豆、糖みつをかけただけのみつ豆を、現在のみつ豆のように、内容を充実し、衛生的に高級感を増して売り出したのです。」
(舟和公式ページより引用)

当時、は結構高級品で、「みつ豆ホール」なるものも出来ていたようで、その人気の高さが伺えます。
そんな舟和本店の外観はこちら。

現在でも、本店の2階3階が「みつ豆ホール」となっており、元祖の「みつ豆」を味わうことが出来ます。

そもそも、芋問屋「小林和助」氏が和菓子職人の「石川定吉」氏と共に当時高かった羊羹を庶民向けに作れないか、ということでいろいろ工夫して芋羊羹を作り上げ、それを目玉に売り始めたのが「舟和」の始まり(開店は明治35年)なのですが、早くも創業翌年にもうひとつの目玉「みつ豆」を誕生させているのはすごいですね。
時代の最先端を行っていたのだと思います。

ちなみに、「舟和」の屋号、もともとは「石川定吉」氏のお店が「舟定」で、その暖簾分け、ということで「小林和助」の名前に「舟」の字を頂いて「舟和」と名づけたということのようです。
(余談ですが、「舟定」は現在も、栃木県足利市で芋ようかんのお店として営業されています。)

こちらがイートインで食べることのできる「元祖みつ豆」です。

下半分は寒天と赤えんどう豆。
上には杏、蜜柑、さくらんぼ、パイナップル、2色の求肥と、発売当時から見ると「蜜柑、さくらんぼ、パイナップル」が増えており、また、先の説明とは「銀製の器」でないことが異なっていますが、中身はまさに元祖のもの。
これにたっぷりの「蜜(今回は黒蜜にしてみました)」をかけていただきます。
蜜をかけると、見た目的に「照り」が加わり、美味しそうな感じになっているのがわかるかと思います。

また、この「元祖みつ豆」はテイクアウトも可能で、テイクアウト品ですと若干価格的に安くなり、量も若干減り、また、裏書より原材料がわかります。

原材料:寒天、果実(黄桃、みかん、パイン、杏)、赤えんどう豆、砂糖、もち粉、水あめ、食塩、ソルビット、酸味料、重曹、漂白剤(亜硫酸塩)、コチニール色素
となっており、大まかには見た目どおりの素材が使われているのがお分かりかと思います。

3.あんみつへの発展

さて、元祖「みつ豆」を堪能したところで、それにあんこを足した「あんみつ」はいつごろ、どこで出来たのでしょうか?
さまざまな資料を紐解くと、概ね以下の2つに分かれるようです。

a.銀座月ヶ瀬説
b.銀座若松説
a.の銀座月ヶ瀬に関しては、現在「コックドール」と名前が変わっていますが、もともとの、月ヶ瀬としての創業が昭和12年。翌年に「あんみつ」発売となっているようです。
b.の銀座若松に関しては、二代目の方が昭和5年に「自家製餡を生かす」ために考案した、となっており、どうも比較する限り、銀座若松が元祖といってよさそうです。

そんな「銀座若松」の本店は、現在銀座のビル「銀座コア」のなかにあります。

で、こちらがイートインで頂く「元祖あんみつ」です。

大まかには「元祖みつ豆」と同じような構成となっており、当たり前ではありますが「あんみつ」ですので、「餡子」と、「若松」の屋号にちなんだ、「松の形」の羊羹も追加されています。
特徴的なのが「みつ」。
食べてみると、先の「舟和」の「みつ豆」に比べ、やや量が少なめ、甘味も抑え目、粘りが強めになっているのがわかります。
おそらく、「餡子の甘味」が加わっている分、やや量と甘味に関しては抑え気味になっているのだと思いますが、2つをほぼ同時に食べ比べたことがなかったため、これは新しい発見でした。


「元祖あんみつ」のテイクアウトはこのようになっています。
やはり全体的に量が少なめに抑えられており、その分お安くなっているようです。

こちらの原材料は、
原材料:天草、砂糖、小豆、赤えんどう豆、水飴、餅米粉、加工でん粉、みかん、チェリー、メチルセルロース、乳酸Ca、乳化剤(乳を含む)酸味料、酸化防止剤(ビタミンC)、着色料(アナトー、赤104、青1、黄4)(黒蜜は黒糖使用)
となっており、「餡子」が追加された分、小豆と砂糖の比率が高まっているのがお分かりかと思います。

4.まとめ

以上にて、現在どこにでも普通に売っている「みつ豆」「あんみつ」の成り立ちについてのお話は終了です。

その後「白玉」を加えた白玉あんみつや、生クリームやアイスクリームを追加した「クリームあんみつ」などが誕生していくわけですが、そのあたりの発生については実はあまりよくわかっておらず、そのあたりを今後は掘り下げていきたいなあ、と思いつつ、今回の「お菓子けものみち」はこれにて終了。
また次回をお楽しみに。


今回のお店

舟和(浅草)
住所:東京都台東区浅草1-22-10
電話:03-3842-2781
定休日:なし
営業時間:平日:10:00-19:30/土日:9:30-20:00

銀座若松(銀座)
住所:東京都中央区銀座5-8-20 銀座コア1F
電話:03-3571-1672
定休日:なし
営業時間:11:00~20:00



●バックナンバー
第八回「元祖芋羊羹を巡る」
第七回「甘納豆は日本橋にあり」
第六回「饅頭の成り立ちと、日本への伝播」
第五回「みつ豆とあんみつの元祖に迫る」
第四回「コンビニのロールケーキ」
第三回「あんぱん、ジャムパン、クリームパン」
第二回「梅花亭でどらやきの歴史に触れてみる」
第一回「3種のうさぎやについて語る」

プロフィール

覆面ライターT

いろいろあってプロフィールは秘密の某会社社員。
20ン年前に「女性にモテたかったので」お菓子をいろいろ食べ始めるが、
その目的は果たせず。
代わりになぜか餡子の美味しさに目覚めてしまい、そのままお菓子(食べるほう)の道を邁進中。
文章おちゃらけてますが、結構いろいろ食べていますので今後もお楽しみに
覆面ライターT


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