~第二回「梅花亭でどらやきの歴史に触れてみる」
3.「梅花亭」のお菓子を食べてみる
さて、それでは双方の「梅花亭」での歴史あるお菓子を紹介することにしましょう。
今回はここから写真多めにお送りします。
3-1.「どら焼き」
まずは新川系列でのみ取り扱いのお菓子から。
先ほどまでの「歴史のお話」にも出てきた「どら焼き」から紹介します。

「どら焼き」を買い求めたときに付けてくれる、「どら焼き」の謂れを書いたしおりと一緒に。
これが先ほどまでの話に出てきた、元祖「どら焼き」の姿です。
しおりによると、「平成10年再び表はれ」と書かれていますので、今から10年ほど前に当時のレシピが復活したことになりますね。
一見しただけでは「どこが今のどら焼きと違うのか」わかりませんので、今回は現在一般的な「どら焼き」と考える、文明堂の「三笠山」と比較してみることにしましょう。

右が「梅花亭」の「どら焼き」なのですが、違いがわかるでしょうか?

アングルを変えてもう一枚。
こちらを見れば一目瞭然。一般的な「どら焼き」と比べ、厚みがまったく無いのがお分かりかと思います。
実際この「どら焼き」、買い求めるときも「1個、2個」ではなく、「1枚、2枚」と「枚数」で呼ばれるのですが、のみならず作り方も、現在の「2枚の皮をそれぞれ別に作り、餡子を挟む」構造とはだいぶ異なっています。

次に、皮部分のアップをご覧いただけると、「上下の皮の境目」に段差こそあるものの、生地としては分かれておらず、完全にくっついているのがお分かりかと思います。
この「どら焼き」、実は
①まずは生地を薄く焼きような作り方をしており、言ってしまえば広島風お好み焼きの作り方と同じとなっています。
②餡子をその上に載せ
③さらに生地を載せ、ひっくり返して焼き色を付け
④最後に「へら」で押さえ、形(厚み)を整える

このため、断面写真はこのように「上下の皮がくっついて、餡子が完全に包まれた」厚みと外観は「どら焼き」なものの、構造的には今川焼きと同様となっており、まさに「助惣焼き」から「どら焼き」「今川焼き」までをつなぐ「失われた環(ミッシングリンク)的どら焼き」といってしまってよいような気がします。
作り方がそんなですので、構造上は自動的に、「片面焼きの皮」と「つぶし餡」の組み合わせ、ということになりますが、逆にこの構造で「あとで餡と皮を合わせているわけではない」ため、皮自体のモチモチした感じと、餡については皮と一緒に蒸された一体感を楽しむことが出来る、非常にハイレベルなお菓子となっています。
なお、原材料は
「砂糖、小麦粉、小豆、玉子、水飴、ハチミツ、膨張剤」 となっており、前回紹介した「うさぎや」のものと使用量の違いこそあれ、まったく一緒の構成です。
「どら焼き」の材料については、明治時代に使用量の多寡はあれ完成していた、ということになりそうです。
3-2.「亜墨利加饅頭」「佛蘭西饅頭」
次に紹介するのは「亜墨利加饅頭」と「佛蘭西饅頭」。やはり新川系列のみでの取り扱いです。

実は新川の「梅花亭」、歴史が古いだけあっていろいろとエピソードのあるお菓子を扱っていたりするのですが、「亜墨利加饅頭」もそのひとつ。
なんと発売は嘉永年間。嘉永3年の開店後、ペルリ(ペリー)が黒船で来航(1853年)したほぼ同タイミングで発売されており、したがって「亜墨利加」の文字を頂いているようです。
現在は「アメリカ」の漢字表記は「亜米利加」となっており、お菓子の表記と異なるのですが、当時はこのようになっていたんでしょうか。

包みをはがすとこんな感じ。
釜で焼くタイプの、所謂「栗饅頭」の元祖でもあるようで、当時は饅頭用の釜などありません(というか、そもそもそれまでは蒸篭で蒸す饅頭や、そのあと炭火で焼くようなものはあったと思いますが、「焼き色を付ける」パンのような焼き釜は無かったと思います)ので、初代自らが釜を自作されたとのお話。
歴史の重みが伝わってくるような気がします。

断面の写真はこちら。
ご覧頂くとわかるかと思いますが、栗饅頭といえど、栗が入っているわけではありません。
所謂栗饅頭自体、「饅頭の表面に卵黄を塗り焼くことによって、栗のような色・照り・形をした
饅頭:wikipediaより」お菓子となっており、この亜米利加饅頭に関しては、さらに上の
胡桃がアクセントになっており、元祖にもかかわらず、非常に完成度が高いと思います。
原材料は
「上白糖、小麦粉、膨張材、白餡、玉子、水飴、クルミ」
と、実にベーシックな材料を使用しています。
時代は下って昭和26年。当時の店主が「大正時代に習得した洋菓子の技術を生かした革新的銘菓(梅花亭のしおりより抜粋)」として登場したのが佛蘭西饅頭です。

こちらは見てのとおり、より西洋の焼き菓子っぽい感じになっており、上部には糖がけされ、その上に甘夏のピールとさくらんぼが乗っています。
時代を経て、よりハイカラになった感じで、口に入れた瞬間に、果実の良い香りが口の中一杯にふわーっと広がります。

こちらの断面図はこんな感じ。
先ほどの「亜墨利加饅頭」と異なり、餡子が小豆餡なのがわかります。
また、原材料が
「小豆餡、上白糖、小麦粉、食用植物油脂、乳化剤、乳化防止剤、牛乳、玉子、甘夏皮、さくらんぼ、香料、ミョウバン、赤色102号、黄色5号」
となっているのですが、先の亜墨利加饅頭と比べ、時代と共に新技術がいろいろ取り込まれているのがわかります。
「乳化材」「香料」「着色料」など、江戸末期にはなかったでしょうからね。
こんなところも「原材料確認」の醍醐味といえるでしょう。
3-3.「福和内」
こちらも新川の梅花亭でのみの取り扱い。

1年のうち、新年~節分の間とごく限られた期間しか販売しないお菓子なのですが、今回
今回たまたま取材タイミングが1月だったこともあり購入することが出来ました。
包みを開けたところはこのような感じになっており、まさに節分の枡に入った豆菓子となっています。

お店には、このお菓子の販売時期のみ、その由来を書いた看板を置いてあります。

「名優 市川団十郎さんが明治二十五年梅花亭の新発明かるやき豆の桝入りに福ハ内と命名し」
とあるように、ここでも市川団十郎の名前が出てきます。
明治25年ということは、時期的に、先に出てきた「三笠山」と同一の9代目と考えてよさそうです。
新川、柳橋のお店ともにご贔屓にされていた、ということなのでしょうか。
味のほうは「かるやき豆」の名のとおり、「かるやき」がかかっていてうす甘く、いくらでも食べることが出来そうな感じです。
3-4.「三笠山」
ここから柳橋の梅花亭のお菓子が入ってきます。
まずは「三笠山」から。

「三笠山」については新川のお店でも取り扱いがあるため、双方を並べてみました。
左が新川のもの、右が柳橋のものになります。
新川のほうには「六の文字」が、柳橋のほうには「梅の模様」が刻印されています。
柳橋の梅花亭で頂けるしおりによると、
「考案当時、青豌豆を餡にすることはできないと一般に考えられていたものの、長年にわたり、研究を重ねた末に出来上がった」とのことで、こちらのお菓子、あるいは「うぐいすあん」の元祖ともいえるのかもしれません。

文明堂の「三笠山」との対比画像はこちら。
だいぶ現在のものより小ぶりなのがわかります。

側面はこのようになっており、やはり両サイドの口がしっかり閉じていることがわかります。
「どら焼き」に比べ厚みがあるぶん、より唐饅頭に近い印象となっています。
続いて中身の様子も見てみたいので、切ってみることにしましょう。

先ほどの写真と同様、左が新川、右が柳橋のものです。
切ってみるとわかるのですが、新川のほうがだいぶ粘りがあり、やわらかいのに対し、柳橋のほうはさくさく切ることができます。(新川のほうがやや切り口が流れているのがおわかりになりますでしょうか?)
原材料を比較すると、
新川:上白糖、玉子、小麦粉、水飴、グリンピース粒、ハチミツ、青色4号
柳橋:青豌豆、砂糖、卵、小麦粉、膨張剤
となっており、新川のほうが材料の種類が多く、また、「水飴」「ハチミツ」など「粘りを増す材料」を非常に多く使っており、そのための違いではないかと思います。
余談ですが、新川では「玉子」と記載するのに対し、柳橋では「卵」と記載されているようです。
なお、この2種の「三笠山」、餡や皮部分の味わいそのものは両店共にほぼ同じなのですが、そういった理由で食感がだいぶ異なっており、新川のものは半生菓子の食感なのに対し、柳橋のほうは焼き菓子の食感として感じられました。
3-5.「梅最中」
今回最後に紹介するのは「梅最中」。
これについても新川、柳橋両店で扱っています。


左が柳橋、右が新川のものですが、ひと目で「餡子の出方が違う」のはお分かりいただけるかと思います。
両店のしおりを見る限り、最初に作られたのは新川のお店のようですので、そちらから引用すると
「江戸時代には円形薄型のものであったのを昭和九年店主が厚形を考案し、姿も主人
手作りの梅形とした」となっています。なんとこのお菓子も戦前から存在するということになります。
また、上記写真ではわかりづらいですが、中の餡子の様子が見やすいように、新川のお店の上側の皮を持ち上げてみました。



餡子自体は、柳橋のお店のほうに若干硬さを感じます。
さきほどの三笠山と同様、柳橋のほうが干菓子や焼き菓子っぽく作られているようです。
あくまで印象なのですが、柳橋は他に上生も扱っているため、それらとの性格を分けるために焼き菓子っぽいつくりになっており、新川は所謂生菓子を常設で扱っていないため、やや生菓子っぽい風味を持たせているのではないかなあ、と思います。
念のため、原材料を見てみると、
新川:上白糖、手亡、小豆、餅米、水飴、着色料(赤色3号)
柳橋は種類によって記載が異なり、
紅梅最中:手亡豆、砂糖、寒天、餅米(亡は実際には「くさかんむりに亡」)
白梅/たそがれの梅最中:小豆、砂糖、寒天、餅米
となっており、新川では水飴で、柳橋は寒天でおそらくは餡を固めており、そのため食感の違いが生じるのではないか、と考えています。
とくに柳橋は皮部分を餡で持ち上げる構造となっているため、餡自体に硬さが必要となり、寒天等の「硬さを保ちやすいもの」で固めているのではないか、と思います。










